| 第1章 | (最初に読んでね) | |
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| 第2章 | 東洋系ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ | 96/7/01投稿 |
| 第3章 | 失われたイスラエル10支族の謎とは? | 96/7/01投稿 |
| 第4章 | イスラエル2支族 | 96/7/02投稿 |
| 第5章 | ユダヤ人の苦難 | 96/7/02投稿 |
| 第6章 | ユダヤ民族主義(シオン主義)の台頭 | 96/7/02投稿 |
| 第7章 | 反セム主義活動 | 96/7/06投稿 |
| 第8章 | ロスチャイルド財閥 | 96/7/11投稿 |
| 第9章 | 十字軍の亡霊 | 96/8/12投稿 |
| 第10章 | 失われた10支族探し | 96/7/01投稿 |
<ユダヤ問題特集 第1章>はじめに(最初に読んでね) 「ユダヤ問題」という言葉を耳にして、皆さんは何を真っ先にイメージするでしょうか? 「ゴルゴタの丘」でしょうか? 「ヴェニスの商人」でしょうか? 「アウシュビッツ」でしょうか? 「パレスチナ紛争」でしょうか?
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<ユダヤ問題特集 第2章>世界史のタブーである |
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●7世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に、総人口が100万の「ハザール汗国」という巨大王国が存在していた。住民はトルコ系白人(コーカソイド)で、商人・職人・武人として優れていたが、周囲の国とは違ってこれといった宗教を持っていなかった。不運なことに、キリスト教を国教とする東ローマ帝国とイスラム教を国教とするイスラム帝国は、ハザール汗国をはさむ形で、政治的にも宗教的にも対立していた。そのためハザール汗国は、次第に両国の「宗教的な干渉」を受けるようになり、どちらの宗教に改宗しても、国全体が戦火に巻き込まれるのは必至という状況に陥った。
ふつう国が瀕死の状態になったときには、どちらか強い方の勢力を選んでしかるべきだが、ハザール汗国の王オバデアは、こともあろうに国民まとめて「ユダヤ教に改宗」させてしまったのである。
●彼らはユダヤ教に改宗しただけでなく、自分たちは「血統的にもアブラハムの子孫」であるとした。いわばユダヤの仮面をつけてしまったのである。彼らがそこまでユダヤに同化した理由は、キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体にした宗教だから、ユダヤ教に改宗してしまえば、両国からの宗教的干渉を回避できると計算したためであったという。
●この、8世紀末から9世紀にかけて、全国民がユダヤ教に改宗してしまうという、世界史上、例を見ないことを成し遂げてしまったハザール汗国は、なんとか持ちこたえたものの、東ローマ帝国と新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け、12世紀前後に滅亡してしまった。
この時に発生した大量の難民(改宗ユダヤ教徒ハザール人)は、西へ西へと移住し、東欧に住み着いた。この東欧に住み着いた難民たちこそが「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼ばれるようになった人々である。祖国を失ったハザール人は、この時から“ユダヤ人”として生きることとなったのである。
●国家的な「ユダヤ化政策(改宗政策)」を推し進めたハザール王オバデアから200年たったヨセフ王時代の書記は、以下のような記録を残し、ハザール人は全トルコ民族の先祖であるトガルマを通じ、ノアの長男セム(黄色人種)ではなく第3番目の息子ヤペテ(白人種)の直系子孫であることを断言している。
「・・・我々の父祖の系図から、トガルマには10人の息子があったことを知った。その子孫の名前はウィグル、デュルス、アヴァル、フン、バシリー、タルニアク、ハザール、ザゴラ、ブルガル、サビールである。我々は7番目の息子ハザールの子孫である。」
●このことに関し、イスラエルのテルアビブ大学でユダヤ史を教えていたA・N・ポリアック教授は、イスラエル共和国が建国される以前の1944年に『ハザリア』という著書を出版し、次のような見解を発表していた。
「・・・これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで東ヨーロッパのユダヤ人居住地の核となっていたのか、という疑問について、新たに研究していく必要がある。この定住地の子孫――その地にとどまった者、あるいはアメリカやその他に移住した者、イスラエルに行った者――が、現在の世界で“ユダヤ人”と言われる人々の大部分を占めているのだ・・・」
●アシュケナジー系ユダヤ人N・M・ポロック。彼は自然科学の教科書の翻訳者であり、出版会社から頼まれて本の校正もしていた学者であった。その彼が1966年8月、イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。
イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、後にはその重要な証言をもみ消そうと画策。ポロックは自分の主張を人々に伝えるため、その生涯の全てを費やしたという。●このように「アシュケナジー系ユダヤ人」は、『旧約聖書』に登場するユダヤ人(セム系民族)とは「血縁的に全く関係のない民族(ヤペテ系民族)」であり、国をあげてユダヤ教に大改宗して以来、現在に至るまで“ユダヤ人”になりきってしまっているのである。
「アシュケナジー系ユダヤ人」が非セム系民族であるとすると、現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上が、本来のヘブライ人とは全く関係のない異民族ということになってしまうが、これは恐るべき事実である。この「ニセユダヤ人問題」(ちょっと言葉が悪いが)が世界史のタブーであることがうなずけよう。
●と同時に考慮すべきことは、「白人系ユダヤ人問題」というセンセーショナルな問題を扱う場合、幾ら「ニセユダヤ人」とはいえ、彼らは長い間“ユダヤ人”として生き、オリジナル・ユダヤ人と同じ「キリスト殺し」の汚名を背負い、悲惨な迫害を受け続けて来たわけであり、同情に値するという点であろう。
●さて、白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(東洋系ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住した東洋系ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。
彼らは中世において世界のユダヤ人の約半数を占め、ラディノ語を話しアラブ・イスラム文化とも同化し最も活動的であった。ちなみにこの頃、既に彼らの間では「ハザール人のユダヤ教改宗」はよく知られており、有名なユダヤ人の詩人・哲学者であるユダ・ハレビは、ハザール人の改宗について「ハ・クザリ」という詩で歌っていたという。
●しかし1492年に、スペインでキリスト教への改宗を拒否したユダヤ人に対して、徹底的な追放政策がとられると、約25万人が北アフリカ、イタリア、オスマン帝国に移住。オスマン帝国はユダヤ人を喜んで受け入れたので、「コルドバ」に代わって「テサロニケ」がスファラディ系ユダヤ人の中心地となった。
●で、アラブ人は「アブラハムの次男イサクの子ヤコブの子孫(イスラエル12支族)」ではないが、「アブラハムの長男イシュマエルの子孫」である。よってオリジナル・ユダヤ人とアラブ人とは、同じ「アブラハムの血族(セム系民族)」として昔から仲が良かったのである。
事実、20世紀初頭に第一次世界大戦が起こるまでのパレスチナでは、アラブ人とユダヤ人とは仲良く共存しあっていた(ユダヤ人は少数民族であった)。しかし、そんな彼らが現在のような血生臭い中東問題を起こしているのはなぜなのか?●なぜユダヤ人国家イスラエル共和国は「ユダヤ人」という語の定義をあいまいなままにして、民族的混血状態を放置しているのだろうか? なぜ神に選ばれた選民として民族的純血性を保ち、『旧約聖書』に忠実に生きようとしないのか? そもそもなぜイスラエル共和国はアラブ人の土地に強引に建国され、しかもアラブ人と共存しようとしないのであろうか?
これらの素朴な疑問を解決するには、イスラエル共和国がユダヤ人の民族的自立のために建国されたというよりも、西側諸国の中東支配戦略の一環として誕生したという、非常に人為的で特殊な歴史的背景を理解する必要があるだろう。●この特殊な歴史的背景に関しては、あとあとで触れるが、それにしても一般に“ユダヤ人”と呼ばれている人間のほとんどがハザール人だとすると、一体全体、現在の地球には本当の選民、つまり『旧約聖書』で活躍し神に愛された「イスラエル民族」の真の末縺たちは、どのくらい生き残っているのであろうか? もしかすると、とっくのとうの昔にほとんど消滅してしまっていて、ごくわずかしか現存していないかもしれない・・・
<ユダヤ問題特集 第3章>世界史最大の謎の1つ |
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●イスラエル統一王国の分裂は、単に政治的な面にとどまらず、宗教的な面においても分裂を引き起こしてしまった。南ユダ王国は、以前と同じようにソロモン神殿で「絶対神ヤハウェ」を信仰していた。それに対して北イスラエル王国は、黄金の子牛像を作り、これを礼拝、偶像崇拝に陥ってしまった。これは「ヤロベアムの罪」と呼ばれている。北イスラエル王国の偶像崇拝は、日ごとに激化し、パレスチナ地方の異教の神々をも礼拝し始めた。そして、ついには本来の古代ユダヤ教とは全く異質な信仰と化してしまったのであった。これがまずかった、と『旧約聖書』では指摘されている。偶像崇拝がイスラエル10支族の霊的堕落の大きな原因となったのである。
「神」は北イスラエル王国にエリヤ、エリシャ、ホセアといった預言者を送り、民族の霊的回復を図ったが、この預言者たちの必死の呼びかけも空しく、もはや信仰的回復は不可能となっていた。●紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国に襲いかかった。必死に防戦したが、北イスラエル王国はあっけなく滅亡してしまった。しかもイスラエル10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚( ニネベ捕囚)されてしまったのである。
アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した・・・」とある。●北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした南ユダ王国のユダ族中心のイスラエル2支族たちは、改めて偶像崇拝はいけないことだと自戒し、「ダビデ王統」を守り続けていった。が、しばらくすると、南ユダ王国も同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、 新バビロニア王国によって滅亡してしまった。南朝のイスラエル2支族はバビロンへと捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失って、バビロンの地で涙することとなったのである。
●紀元前538年の新バビロニア王国の滅亡と、その後のペルシア帝国の寛容な宗教政策によって、南朝のイスラエル2支族はパレスチナ地方へ帰ることができた。彼らはソロモン神殿を再建し、徹底した契約厳守の律法主義に基づく「新ユダヤ教」を作り、現在のユダヤ人へと至る“目に見える歴史”をたどった。
●南朝のイスラエル2支族が故郷の地に帰還した時、既にアッシリア帝国は滅亡しており、そこへ捕囚されていたイスラエル10支族はパレスチナ地方へ帰ってきてしかるべきであった。しかし、彼らは帰って来なかったのである!
もちろん帰ってきた者もいたが、それはごくごく一部で、大部分が帰って来なかったのである。しかも捕囚されたアッシリア帝国の地にも、彼らの姿は無かった。ユダ2支族よりも神から多くの祝福を受けていたはずのイスラエル10支族は、いつの間にか歴史の表舞台から消えてしまったのである!●興味深いことに、冒頭でも紹介した、紀元1世紀の著名な歴史家フラビウス・ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、イスラエル10支族は膨大な数になっていて、ユーフラテス川の彼方に広がっていると記述していた。
また、聖書外典の「第二エズラ書」は、以下のように、イスラエル10支族は絶対神ヤハウェを信仰し、過去と同じ過ちを犯さないために、信仰の邪魔する者が存在しない土地を目指したと伝えている。「これらは、ヨシア王の時代に捕らえられ、その領土から連れ出された支族である。アッシリア王シャルマネセルがこれを捕虜として連れて行き、河の向こうへ移した。こうして彼らは異国へ連れて行かれた。しかし彼らは異邦人の群れを離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い地方へ行こうと相談した。それは自分の国では守っていなかった律法をそこで守るためであった。こうして彼らはユーフラテス川の狭い径を通って入って行った。」
●現代の歴史学的通説では、彼らは捕囚中に死滅したとか、現地の人間と同化したということにされているが、確たる証拠があるわけではない。世界のベストセラーである『旧約聖書』の主人公であり、神から一番愛されていた民族(選民)である彼らが、 何の断りもなしに消滅することがあっていいのであろうか。彼らの行方は今もって不明である。そのためイスラエル10支族の行方は世界史最大の謎の1つとされているのである。
<ユダヤ問題特集 第4章>イエス登場を境に大分裂してしまった |
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<ユダヤ問題特集 第6章>ユダヤ人の世界的解放と |
<ユダヤ問題特集 第7章>現在も続くジオニストたちの |
<ユダヤ問題特集 第8章>栄華を極める世界最大最強の |
<ユダヤ問題特集 第9章>イスラエル共和国建国の背後にひそむ |
<ユダヤ問題特集 第10章>ユダヤ教徒の世紀末メシア待望運動と |